祖母とのお別れ 続

ひとりごと

危篤になったと連絡がきた翌日

主人と一緒に面会へ。

前日に明日は旦那さん連れてくるしね

って祖母に約束してきたから。

前日の状態とは明らかに変わって

呼吸もしんどそうで話すことはできず

ずっとウトウトしてたけど

病室に入って最初に名前を呼んだ時は

両手を全力で振ってくれて

会話の途中も声をかけて名前を呼ぶと何度か

目を開いて私のことを見てくれて

力いっぱい反応してくれた。

最後の力を振り絞ってくれたなって。

危篤の状態であんなに手を振って迎えてくれるとは

思いもしなかった。

祖母から主人へのメッセージだったんだなと。

帰り際は口をパクパク動かして必死に

何かを伝えようとしてた。

きっと主人に対しての『ありがとう』だった気がする。

意識のあるうちに2人を会わせられてよかった。

翌朝の日曜日  祖母が旅立つ日

朝から妹と一緒に病院へ向かう。

夜中の急変の電話をあるかと思ったが

祖母は一晩頑張ってくれた。

脈も血圧も弱くなっていて

呼吸数も徐々に減っていっている。

それでも病室に悲壮感は漂ってなくて

妹と昔の祖母の思い出話をして

父、母と家族団欒の時間を過ごした。

看護師さんもいつも通りにしてください

お孫さんの声が聞こえてたら安心するからと

言ってくださってたのでなるべく明るく

いつも通りの我が家の空気感を。

手を握っても反応はないし目も開けてくれず

祖母はずっと眠ったまま。

でも力いっぱい呼吸して少しずつ旅立つ準備を

進めてる姿を皆で見守った。

明らかに呼吸と呼吸の感覚が長くなり

思わず『息忘れてるよ!』と言って

呼びかけ体をトントンすると2度ほど

吸ってくれたけど最後は静かに呼吸が止まった。

生前祖母は毎日ご先祖様たちに

どうか寝たままスーッと逝かせてください

って頼んでると面会の時に教えてくれた。

それが言葉通り叶った姿を見て

もちろん寂しかったし悲しかったけど

よかったと安堵し清々しい気持ちにさえなれた。

昔は祖母が亡くなる瞬間、きっと私は辛すぎて

崩れ落ち取り乱しとてもじゃないけど

冷静でなんていられないだろうなと漠然と

イメージしていた。

でも実際は冷静に穏やかに旅立ちの瞬間を

見届けることができた。

それはこの1ヶ月ちょっと

祖母とのお別れが近づいてることを

少しずつ受け入れ、向き合い

その中でも今自分に出来ることをやろうと

過ごしてきた時間があったから

その準備期間を祖母が毎日命を繋いで

用意してくれたから、悲しく辛い中でも

ダメージを最小限にしてくれたんだと。

やっぱり最後まで守られてる。

旅立つタイミングも夜中とか

育児中の私や妹が駆け付けられない平日じゃなくて

皆が集まれる日曜日の午前中。

何となく看取れる気がしていたけど

それも祖母がしっかり叶えてくれた。

眠ってる祖母に何度も『よく頑張った』

『立派やった』『願い通りやったな』

『お疲れ様』と声をかけた。

病院で一緒に過ごした時間が宝物。

妹、娘とワイワイ普段通り喋った時間も

2人きりで昔の話や近況報告した時間も

父と3人で過ごした貴重な時間も

無理言って息子を少しだけ会わせられた日も

最後の会話になった危篤前の2人だけの

尊い時間も全部全部いい時間だった。

祖母もそう思ってくれてるはず。

81歳、本当はもっともっと一緒に

過ごしたかったし子供たちの成長を

まだまだ見守ってほしかった。

でも後悔はない!

祖母の初孫として産まれてこれる人生で

心からよかったし

真っすぐに愛情を伝えて大切にしてくれる

祖母に会えてよかった。

33年間ずっと愛されて守られてきた

誰よりも幸せな孫だと思う。

明るくておもしろくてパワフルで

感情豊かで愛情深い愛すべき存在。

これからも変わらず祖母にもらった

思い出、愛情、言葉、温もりを抱えて

気配を探しながら思いを馳せながら

安心して見ていられるように

自分らしく幸せに人生を歩んで行こうと思う。

会えない、声が聞けない、触れられない

そう考えると寂しくて涙がまだまだ止まらないけど

そこまで思えるぐらい大好きになれてよかった。

つくづく私は恵まれて守られてるなと実感した。

ずっと見ててね!変わらず傍についててね!

また会おうね!!

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