先月最愛の祖母が旅立ちました。
幼い頃からこの日が来るのを
1番恐れていたといってもいいぐらい
心から大好きで親友のような祖母。
去年の冬に突然病気が発覚し
なかなかのスピードで進行しました。
4月から1ヶ月と少し
緩和ケア病棟に入院していたので
10回ほど面会に行くことができ
病室では楽しい時間を過ごせたことが何より。
昔の話から近況報告、
自分が亡くなった後の話まで
いろんなことを話しました。
ひ孫にあたる私の娘、息子も
会わせることが叶い
本当に嬉しそうでした。
主治医の先生をはじめ
病棟スタッフの皆さんが
丁寧に細かくケアしてくださったおかげで
ひどい痛みもなく亡くなる数日前までは
いつも通りの会話もできて尊い時間をもてました。
旅立つ2日前、たまたま主人が
有休だったので
私1人で面会に行くことができ
病室に入って顔を見た瞬間、
明らかに3日前に会った時と
段階が変わっていていよいよお別れが
近づいてるなと直感的に思いました。
痰がゴロゴロ鳴っていて
咳払いして自力で出すことは困難で
ウトウトする時間も多くなって
たまに目をガッと見開いては
どこかを見つめその合間にも痰が絡んで…
そんなしんどい状況を目の当たりにして
祖母の前では泣かないと
今まで我慢していたものが
決壊したかのように
涙が止まらなくなりました。
もうこれがラストチャンスかもしれない
でもまだ頑張ってる祖母に
伝えるのは違うかなと
悩みに悩んだけどやっぱり今
伝えないといけない気がして
『おばあちゃんでよかった!
孫でよかった!』と
伝えたら『ありがとう』と
返してくれました。
涙が止まらない私の手を
両手で優しく包みさすりながら
『大丈夫、大丈夫』と何度も何度も
励ましてくれた。
本来私が励ます立場なのに
こんな時でさえ結局祖母に守られてた。
体は細く痩せてしまったけど
目の強さは変わらずあって
この状況でも大丈夫!
痰の症状もなくなる!と
ずっと前向きな言葉しか言わない姿もそのまま。
病気が分かってからも悲観的にならず
常にポジティブだった姿勢は
私も見習わないといけない。
『明日来てもうたらいいし今日はもういい』って
言われたから帰ることにして
『また明日来るね、またね』って言うと
病室のドアを閉めるその瞬間まで
ちゃんと私の目を見て力強く手を振ってくれた。
これが祖母と私の最後の会話。
それから数時間後に危篤の面会ルールに切り替えます
と病院から連絡があった。
ちなみに私がお昼に行った時は
ちょうど昼食の時間で
『食べれへん』とお粥もアイスも
手をつけられず残してたから
無理かなと思いつつも持って行った
大好きなクーリッシュのアイス食べる?って
聞いたら目を輝かせて👍食べる!食べる!って
嬉しそうに言って半分ぐらい食べてくれた。
食べてる途中も何回も『美味しい!』って
言ってくれて結果的にこれが
祖母の最後に食べたものになった。
まだ半分残ってるから帰る時に
ナースステーションの冷凍庫に入れといてって
そんな頼もしいオーダーまでしてくれて。
帰り際に念押しされたぐらい
まだ次の日も食べる気満々やったのが
何とも祖母らしくて。
この日、病室で面会中に一緒に撮った写真と
最近の子供たち(ひ孫)、数年前の
懐かしい写真をプリントして
アルバムに入れて持って行った。
かなりしんどそうやったし
一緒に見るのは無理かなと思ったけど
時間をかけて最初から最後まで
一緒に見ることができた。
ひ孫の写真を指差しては
何度も👍でリアクションして
かすれる声で『可愛い可愛い』と
伝えてくれた。
病室の冷蔵庫にジュースが入ってるから
子供たちに2本持って帰ってねって
そんないつもと変わらない言葉も言ってくれて
どんな時でもひ孫を愛しく大切に思って
考えてくれてることが伝わった。
2人の子供を産んで祖母に会わすことができて
それが唯一の孝行やなって思えて救われた。
この日この時間に1人で面会に行けて
本当によかった。
1人やったから心のままに泣けたし
ちゃんと言いたいことも伝えられた。
写真もどうにか一緒に見ることができたし
持って行ったアイスまで食べてくれた。
私はこの先の人生で辛くなったり寂しくなっても
この時間、思い出にきっと支えられる。
それぐらい私には尊い時間やった。
祖母の愛、温もりを受け取って
最後まで大きな両手で守られて
目を見てまた明日ねが言えて。
祖母が命懸けで作ってくれた時間。
数時間後に危篤になるとは思えないぐらい
はっきりしっかり意思疎通ができた。
ー長くなるので続きは次にー
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