最愛の祖母が旅立って1年。
あっという間に季節が一周した。
こんな爽やかな新緑の季節だったな~と
緑が増えて青々とした街を見て思い出す。
一周忌法要はすでに終わったけど
何だか誰の法要なのかまだピンとこず
でもその場に祖母が居ないことは確かで
すごく不思議な感覚、空間でした。
顔が見れなくなって手を握れなくなって
声が聞けなくなってメールが来なくなって1年。
子供たちのおかげで日常を送ってこれたけど
どれだけ会いたいなって思っては泣けてを
繰り返したかな。
居そうで居ない、会えそうで会えない
近くて遠い そんな距離感。
確かにこの目でその瞬間を見届けて
全ての儀式に参加して見送ったはずだけど
あれは祖母だったのか?って未だに思う。
1年前は祖母とのお別れに向き合おう
冷静でいよう、受け入れようと必死だった。
崩れ落ちもせず、取り乱すこともなく
たくさん泣いたけど理性はあった。
それがよかったのかどうかは今も分からず。
でも祖母が命を削って紡ぎ出してくれた時間が
あったからこそ少しずつ気持ちに折り合いをつけて
受け入れられたのは事実。
だから心閉ざすことなく乱れることなく
日常に帰ってこれた。
でも日々過ごす中でこの世界に祖母が居ないことを
ふとした瞬間に突きつけられる。
最愛。この言葉がぴったりくる
私にとってなくてはならない人。
明るく前向きでチャーミングで
おもしろくて情深くて愛の人。
この人の孫として産まれられたから
1回きりのこの人生が自分でよかったって
心から思えるぐらい。
ずっとずっと一緒に居たかった。
もっともっと祖母との時間が
続いてほしかったし
ひ孫にあたる我が子たちの成長を
一緒に楽しみたかった。
絶対看取れる気がしたし
私が後悔するようなことは起こらない
そんな気がしてたし実際そうだった。
全部祖母に守られていた。
危篤になる数時間前に2人きりで会って
きちんと意思疎通して会話できたのも
その時に最後の食事を見届けたのも
ちゃんと目を見て『また明日ね!またね!』って
言って手を振りあえたのも
すべて祖母が頑張ってくれたから。
人の命の灯はこういう風に消えていくよって
お手本を示すように
最期の旅立ちの瞬間を見せてくれて
祖母がずっと願ってきた寝ながら
苦しまずにを立派に叶える姿は
寂しくて悲しかったけど清々しさもあった。
会うたびに祖母が望んでた人生の終わりが
見事に叶ったんだと思うと救われた。
もう1年やね、会いたいのに会えなくなって。
ひ孫たちは9歳、2歳になって
それぞれの場所で毎日頑張ってるよ。
見守ってくれてるから知ってると思うけど。
家族みんな元気にやってるよ!
変わらない日常を過ごしてるけど
あなたが居ないっていう
決定的に大きな違いがある。
どうしても埋められない穴がある。
どんどん大きくなって
どんどん寂しくなっていく。
またたまには夢に出てきたり
姿を変えて目の前に現れてね!
皆で全力で気配探してるから。
あなたの作った炊き込みご飯が食べたいし
黒豆も唐揚げも食べたい。
あの家の机で昔話したり近況報告したい。
『危なくないか?頭打たんといてや!』って
過保護にひ孫を見守る姿が見たい。
『パワーもらっとこ!』って帰り際
手も握ってほしい。
一緒に過ごした時間が思い出になっていく。
日常じゃなくなっていく。
でもどれも忘れないからね!
もう二度とそんな日常ができなくなっても
もらった言葉、温度、愛は
ずっとずっと忘れずに私の中にある。
だから頑張れる!!
どうかこれからもずっと傍で
見ててね!幸せに生きるからね!!
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